Despelote / Robot Hospice / くつひも物語

おれを助けて金の脳をゲットしよう

Despelote / Robot Hospice / くつひも物語
Save 50% on despelote on Steam
A slice-of-life adventure about childhood and the magical grip soccer held over the people of Quito, Ecuador in 2001.
Robot Hospice on Steam
"Robot Hospice" is a 2D pixel art adventure game where beloved robots spend their final days in a hospice. As a new staff member, you will gently yet painfully bid farewell to these cherished machines that once lived alongside humans.
Shoestrings Story on Steam
A point-and-click visual novel updating the classic "hero vs. demon king" fantasy into a cynical modern world where you can’t win by force alone. What defines a hero now? Will they be paid, or get any compensation at all?

Despelote

2002年ワールド杯から始まるエクアドルのサッカー熱について語られる裏で政治や経済の深刻な問題や家庭内の取り立てて言うほどでもない不安定さが仄めかされている。母親に対する嘘だったり、急に作者のメタ的な視点になりW杯当時の作者自身の年齢や居住地が実際と異なることが明かされる。他にも隠し事があるんじゃないか、サッカーの話を隠れ蓑になにか伝えたいことがあるのではみたいなことを考えてしまう。

嘘や自虐も当然に、かつ斜に構えているような態度もなく、それをセールスポイントとして人に伝えることのできる、文化的資本の豊富な環境で育った若者を感じる。なんか、私小説としてみると、ちょうど自分から見てちょっと存在を認めるのが怖い感じの姿勢を確認してしまう。なんて図々しいんだと自分でも思うけど、まるでおれの代わりに雨の中泥だまりでのたうち回って見せてくれているのかと思ったら一人だけ取り残されていたようなそんな恐ろしさがある。本当にゲームと全然関係ないけど、 Wild Man Fischer の Merry Go Round を繰り返し聞きたくなった。

YouTube の「動画エディタ」(そんなものあるんですね)でタイムラインを見るときれいに均等にチャプターごと色がわかれていてすごいなと思った。

Robot Hospice

『NORCO』の Million は信頼できる友人でもあり企業や政府のスパイでもあるという現代的なAIに対する認識が描かれていた。それに対して、AI製品をおそらく行政の支援の下に「看取る」施設が運営されている世界を具体的に想像するのは負荷が高いけど、それを考えないと「ロボット」を看取ることと人間を看取ることの違いがわからない。高機能なAIはリソースが集中された企業や組織でのみ運用可能で情報もクローズドなままだとしたら、こういう施設は高級な「ペット」を可愛がる金持ちの偽善的な道楽にしか感じないかもしれない。

『クララとお日さま』を読めばそれがわかるのかと思って読んだ。AIが出力したログを見ているとAIにも感情があるように誰でも思うかもしれない。いや、実際人間が高度なコミュニケーションで利用するための感情の一部機能はAIも持っている。それを使って感情労働の自動化、大量生産が可能になるという考えももはや一部実現しているけど、確かにえげつないなとは思う。その末端でえげつなさの受け皿になっているものに対して、何か「供養」が必要だと考えるのは迷信的だけどある意味人間らしいのかもしれない。

くつひも物語

作品が一般的な社会問題を介して現実を描くとき、作品そのものと現実との間に一枚別の層が生まれて現実とのグリップ感が薄れてしまうことについて考えていた。

本来創作が暴く現実というのは認識の自動化を打破するものだけどそう感じられないとき、本当に作品が記号化されたコピーを扱っているだけだからなのか、毎日SNSでそれについて怒っている(その感情には正当な理由があるのだが)人を見てもどうせ何もしない自分を知っているせいで、その問題そのものに自分の知覚が鈍麻しているからなのかわからない。

失礼かもしれないが、作品中の具体的な表現方法から醸し出される「クセ」から現実のままならなさを感じるときがあり、それが魅力に見えてしまうときがある。

ホリィさんの話が特別面白かったが、それが自分に想像できる現実感を持っている話だったからなのかもしれない。