Z.A.T.O. // I Love the World and Everything In It

dissipating into the greater world

Z.A.T.O. // I Love the World and Everything In It
Z.A.T.O. // I Love the World and Everything In It on Steam
USSR, 1986. A girl goes missing in the closed city of Vorkuta-5, yet not a soul seems to be concerned. Uncover the mystery behind her disappearance and transmit your signal to the universe.

他の人の考察とか感想とかそういうのをなんも調べずに書いているので空回りして勘違いしているところがたくさんあると思う。でも、最初読んでみてこう思ったというのを残しておきたい気がした。


  • 宇宙の「コード」を書き換える研究施設やその「コード」を知覚できる特異体質
  • 一人の電波系少女の「願い」が宇宙意志に影響を与える
  • 系全体の部分的な閉鎖系がその内部での安定性を強化することで、逆に系全体に歪みが生まれ、系全体がその部分を修正(あるいは破壊)すること(ホロンなのか?ホロンってそういうこと?)

こういう、今どき(20年以上前かもしれない)の要素とか、「外界から隔絶された閉鎖都市」とか「得体の知れない研究を行う国家の研究所」とかが

  • イマジナリーフレンドの消失
  • 思春期の子どもに見られる「癲癇」や「発作」
  • 精神疾患に対する周囲の無理解、拒絶
  • 閉鎖的コミュニティにおける道徳的規範の崩壊
  • 学校のいじめ、地域の同調圧力

という、どこかしみったれた(というと失礼かもしれないが)現実的な(というか児童書、ジュブナイル小説みたいな?)要素と相互に繋がって、「村でいじめられている健気なヒロインが超自然的存在(Tosya?)の助力を得て試練(Vorkuta-5 での生活)に打ち勝ちその真価が宇宙意志に認められて報酬(愛の告白)を得るシンデレラ型の物語」になっているように見えた。

ストーリー上は Ira が最初に Asya を救い、Ira のいない期間(極夜)を切り抜けたご褒美のように語られているが、実際、Asya の試練は三年前に Tosya が居なくなってから続いていた。Ira は Marina (一応 Vadim も)とともにちょっとだけ早く来た報酬で、Asya の試練は Tosya の助けにより Ira と出会った時点で試練はほぼ完了していた。

より「現実」的には、 Marina の調子が悪かった(あるいは別人のようになった)のも三年前なので、そのとき研究所によって distortion をなんとかする事件が行われ、町が消えるのもただその実験の失敗の影響というだけで、Asya への試練でもなんでもないのかもしれない。

Distortion を何とかする実験に Asya がどこまで関わっていたのかわからないが、 Tosya の説明によると結構ガッツリ目に関わっていたように思える。Osmotic とか言われているので、Asya 内部の distortion 濃度?を外部と合わせるみたいなことが行われたのかもしれない。だから他の誰もいなくなり外部の distortion 濃度が基の状態に戻ったので Tosya が戻ってきたのかもしれない。そうすると本当に Asya の distortion により Vorkuta-5 が滅亡したことになってしまうが。

最後の日に Asya がワードローブから新年のプレゼントをフライングして手にする場面もこの「早く来た報酬」と無関係と思えない。そのプレゼントの最初のページが切り取られている描写が何を示すのかわかっていない。この時点でもう Asya の記憶はあやふやなので、自分で書いてちぎっていたというのが一番ありえそうだけど何を書いたのか、なんでちぎる必要があったのか。ストーリー中で Asya が何か書いているのはこれと Ira の詩と Marina の電話メモくらいだったと思うけど、そんな早くから新年のプレゼントを先取りしていた?

Jammed Signal C もわかっていない。A と B は明らかに(たぶん) Ira の記憶だが、C は Asya の自動車修理工場での記憶に見える。最後に「Me」が見たのは Tosya とも Asya ともとれるようにわざわざ書いているのだから、 Ira が Asya を見たときの記憶でもあり Asya の記憶でもあるのかもしれない。でも C だけ明らかに語彙が違う。普通の中学生が扱う比喩ではない。


上で挙げた様々な要素が Asya の詳細で冗長なモノローグによって現実味を与えられているところが面白かった。Asya は Vorkuta-5 の社会規範よりも普遍的な道徳的規範を図書館から仕入れているので、Asya の思考は Vorkuta-5 と読者にとっての現実の橋渡しになっていて、かつ、Vorkuta-5 内での交友関係がないことも表してもいる。Asya の宇宙意志的考えは突飛に見えるけど、それによって自身の危機的状況を受けていれて世界を正当化している(コーピングの一種)と捉えると下賤で現実的な想像力でも理解できた気分になる。

『Morozko』の話が出てきた第二幕での図書館のシーンが妙に印象に残っている。Asya の精神が不安定になった直前の描写から一転して落ち着いたトーンになったこともあるし、Asya がまるで他人事のように話す内容のほとんどが今の Asya の状況そのものに思えて、「いや、お前だろ!」みたいになってた。

図書館のシーンで緑から赤に背景色が変わるのもただ時間の変化を表しているだけとも違う気がする。そもそも作品全体を通して色(特に緑 <-> 赤, 白 <-> 黒)に何か特別な意味がありそう。

研究所の塔を昇る途中で自動車修理工場での出来事を思い出し「It's all just so... boring.」と結論付けるのは悲しい(なんか、つまんない世界に対する復讐みたいな)気がした。イマジナリーフレンドを治療と称して無理やり消すことに対する批判的な意味だとしたら割と一般的な感覚かもしれない。でも英語詳しくないけど過去形じゃないし、過去の出来事を受けて現在の意識の流れの先にこの結論があるんだとしたらやっぱ(その後 Asya が受けた仕打ちを考えれば当然の感想かもしれないが)悲しい。

実際、 Asya は Marina の「言い訳」に同情はするけど買ってはいない。より厳しい道徳規範で生きている。ある意味一番無常なのは Asya はどこかで世界(Vorkuta-5)がなくなってしまえばいいと思ったかもしれないが、ちょっと早くに受け取ったプレゼントのせいでそれに反逆しようという気持ちが芽生えたときにはもう手遅れだったことかもしれない。

Ira をモチーフにした詩を読んだ後の無音の間がなんか好きだった。Ira が自分以外の存在とのつながりを完全に失ったときに Ira を表す詩が観測者になって、それで一瞬意識を取り戻すというのは、詩が現実の複雑さや難解さそのまま言葉にしいるかのようで、ちょっと素敵すぎるかもしれないけど。

国家機密レベルの研究によりこの世の理を書き換えてまで成立させた Vorkuta-5 が、平和だけどせせこましい、世界中のどこにでもありそうな地方都市なのがなんか面白くなってきた。


どちらかというとメタ読みみたいになってしまうのかもしれないけど、たぶん Ira の死体とかは見つからないんだろうな、とか、絶対にまず Lev が怪しいだろ、とか、ミステリー要素は本筋ではないけど、なんかちょっと変に引っ張られてる感じはあった。とはいえその過程に Marina と Vadim とのまるで友達と遊んでいるかのような1日があるので無駄ではない。だけど「このシーンはサスペンスのようだけど実態は違うんだよな」という、ちょっと疲れる脳の使い方を常にし続けないと読めないようになっている感じはある。それはそれでいいことなのかもしれない。

  • Vadim の不安げな表情、ちょっとだけギャグマンガ日和思い出す。