The Theresa Duncan CD-ROMs (Chop Suey / Smarty / Zero Zero)

Glamor

The Theresa Duncan CD-ROMs (Chop Suey / Smarty / Zero Zero)

詳しいことは Rhizome というデジタルアートや文化を支持、保護する団体が運営する Webの復刻版を展示しているサイト に書いてある。

90年代に CD-ROM ブームなるものがあって、Flash などの Web 技術にとってかわられるまで大量の作品が販売されていた、らしい。流石に物心つく前なのであまり実感はないけど実家にも謎の Windows 98 用の教育?百科事典?ソフトがあったのは覚えている。小さい電車がかけうどんの中を走る合成映像をずっと見ていた。Italian Brainrot とかをとやかく言えるような立場じゃないかも。

最近(でもない?)、90年代後半から2000年代前半の CD-ROM や Web サイトを舞台にした謎解きとかホラーゲームがたくさんあって自分もいくつかやったことがあるんだけど(『SPLAT! With Penny Crayons』、『Frontiers of the Mind』、『餓死シャチの幸』とか)、実際どんなものが出版されていたのかあんま知らないよなと思って。


『Smarty』 は小学生の Mimi Smartypants (悪口では?)が夏休みの間に叔母の家周辺で遊んでいる様子がゲーム(というか動く絵本)になっている。パッケージ画像を見る限り教育ソフトっぽい印象を受けるけどごく一部でスペリングについてのイベントがある以外は、駄菓子屋で手あたり次第商品を買ったり、日曜学校的な場所で演劇をやったり、親戚が働く近所のパンケーキ屋で過ごしたり、子供がやりそうなことをやっている。

メニューからゲームを終了すると、夏休みが終わり Smarty にとってのいつもの日常に帰っていく短いエピローグが流れる。それで気づいたけどこれはつまり『ぼくのなつやすみ』とか『This One Summer』と同じシチュエーションで、田舎の親戚の家に遊びに行っているということなんだよな。その割には全然街というか、基本インドアのアクティビティばかりなのが Smartypants と呼ばれている所以なのかもしれない。

郊外に住む子供にとっての現実的な夢は、海や山で知らんおっさんおばさんの付き添いでキャンプをやったりすることじゃなくて、アイスクリーム屋とか駄菓子屋で湯水のように金を使いまくったり、その辺の大人も知らない知識をひけらかし「かしこ」だとほめそやされることかもしれない。『Chop Suey』と同じ舞台で似たような構成だけど、『Smarty』の方がずっと子供の欲望に忠実に向き合ってる気がした。

『Chop Suey』もアメリカの郊外が舞台だが、Vera おばさんなど住人たちの描写が、作者の経験の中に具体的なモデルとなる人物がいるような、そんな気配を感じた。過去にニューヨークのキャバレーに勤め、地元に帰ってきて3回結婚している Vera おばさんを始め、可愛らしい店名に似合わない仏頂面の駄菓子屋 Cupid's Treats の店員 Bob など。子供ながらうっすらとこの人たちってなんか変かもなと思ってた率直に表れているのかもしれない。

Vera おばさんの長男が独り暮らしをしている寮の部屋でレコードをかけてダラダラ過ごすシーンが好きだった。ゲームとして体験するにはあまりにも日常すぎる気がして。『Ringo Ishikawa』で部屋で友達とレンタルビデオを見るシーンを思い出した。

あと、ジーパンを履いた蛍や、Carnival の緩すぎるゾウ。

カーニバルのゾウ

『Zero Zero』は動きやボリュームも増えて、これから訪れる20世紀について街の人間に聞いて回るという、ゲームの目的のようなものも追加された。Folies での描写など、戯画化されてはいるがショービジネス界隈について皮肉っぽい視点がはっきり表れている気がした。また、 Wax Museum での かぼちゃの自動車に乗った Duncan と Blake になにか切なさのようなものを感じた。Movie Deal を通って Hollywood へ向かう地図も。あと、新年のお祝いで思い出しけど、小学校低学年くらいのころに何かプラカード?みたいなものを作ってカウントダウンをしようとしたら親に怠いことするなみたいに言われて結構しっかり目にキレられたのを思い出した。


全体的に、とりとめのない子供の妄想の世界が、これを大人が作ってるんだと考えるとちょっと心配になるくらいの真剣さで表現されている。でも、『Smarty』 のラジオでの Percy の茶々の入れ具合とかにうっすら見える、大人が子供に見せる、愛がないわけないではないが舐めが入っているような態度とか、『Chop Suey』の Vera おばさんの過去や『Zero Zero』での Bon Bon から見える古い Glamour に対する批判的にも見える視線とか。素朴で無垢に見えるけどどこか反抗的な態度を隠しきれない感じが、それを子供の視点から描こうとしているのが、懐かしいけどまだ解決できてない自分のある部分を刺激されている気がして。


Theresa Duncan の生涯については Wikipedia やそこから参照されている当時の New York Magazine の記事に書かれている。世界銀行を退職して、90年代のテクノロジーの流行にも乗じながら、特別な注目を浴びるようになる三つのゲームプロジェクトを立ち上げ、芸術家として有望なキャリアを築き始めたが、ハリウッドでのプロジェクトが頓挫する間に居住を転々とし、最後は奇妙な妄想に憑りつかれて40歳の若さで自殺と思われる不審な死を遂げ、夫もその後を追うことになる。知らない人間の死について勝手に推測してその象徴的意味を定義するものじゃない(と記事でも言っている)けど、絵に描いたような90年代の挑戦的な奔放さとその悲劇的な結末は、憧れと同時に破滅を願う出歯亀根性を満足させるような話だし、実際ドラマにもなっているらしい。