ダレカレ/FIREWATCH

現実を思い起こさせるような表現

ダレカレ/FIREWATCH
and Roger on Steam
It was a morning like all others, until she realized her dad wasn’t home. In his place, a stranger who speaks nonsense and insists she "takes her medicine". Who is he? Where is dad?
Firewatch on Steam
Firewatch is a single-player first-person mystery set in the Wyoming wilderness, where your only emotional lifeline is the person on the other end of a handheld radio.

『ダレカレ』をやってなんとなくもやっとしたのは、これが社会的に繊細な題材を扱っていて、その「問題提起」の雰囲気に疲れてしまうから、というしょぼい理由もあるけどそれ以外にもなにかあるような。

一番引っかかったのは『ダレカレ』が扱っている問題が、『Wednesdays』などと違って、当人が語ることが困難なため他者が代弁するしかないという特徴を持っている点で、だとするとここで表現されている「感覚」も代弁されたものであり、どこまで真剣に受け取ったらいいのかという疑いの気持ちが湧いてくる。そもそも感覚なんて、記憶違いやバイアスがかかるものなので、当事者が語っていたとしても信頼できるものではないかもしれないが。

この疑問が湧いた遠因として、『Florence』ライクなインターフェースを使っているから、というのもあるかもしれない。この感覚を表現するのにそんな、明らかに借りたきた洒脱な表現を使っていいの?みたいな(そうした批判があったとしても、作品として完成させて発表しないといけないという熱意も感じはした)。

そういうもやもやした気持ちがあったので、『FIREWATCH』が似たような題材を扱っていたのを思い出して久しぶりにやってみたくなった。

『FIREWATCH』は当人のパートナーからの視点であり、ゲーム開始時点(山小屋での勤務初日)で当人は実家に引き取られているか施設に入所してもうほとんど会えていない状況から始まる。若年性アルツハイマー型認知症のため40歳くらいという違いがあるが、妻との関係を見直すかどうかがゲーム中の重要な選択になっている。同僚のデリラとは無線越しの会話だけで浮気とも言い難いが、それでも一瞬たりとも妻を無視する(物理的にはもう離れてしまっているので、内面の問題だが)ことに罪悪感がある。といっても、プレイヤーができる選択は結婚指輪を外したままにするかもう一度着けなおすかだけ。

結局こういうゲームをやる可能性がある関係者は、当人ではなくせいぜい介護者や家族であり、『ダレカレ』によって煽られる不安も、当人を一瞬たりとも無視できない(一人にした瞬間に起きる階段での描写などから)ことによるという点では共通しているかもしれない。その罪の意識に対して、『ダレカレ』はどこか一面的な印象を受ける(施設へ入所した際の描写や、伝統的な結婚の価値観から)。実際、『ダレカレ』をやった直後に『FIREWATCH』をプレイすると、結婚指輪を外してデリラと山火事を見ながら会話するシーンに恐ろしさすら感じる。こうしてみると始めは遠くにあった山火事が燃え広がって、そのせいで脱出(山での生活から日常へ戻ること)を迫られるのは象徴的だと思った。相手の名前がデリラなのも悪魔の誘惑的な雰囲気がある。

『FIREWATCH』はそういう「誘惑」もただ悪なのか、本当に人間の意志で退けられるのか、山火事に象徴される不安の出どころはなにか、とか考えさせられる。弱い人間的な視点では、奥さんのことは一旦置いといて、新しい人生を始めてもいいんじゃないかと思ってしまう。実際それは無理な選択かもしれないが、世界のどこかにそういう可能性が残っていてほしいとすら。


『ダレカレ』をやって感じた疑問について、ラブムー(Itsuki Horiuchi)さんの記事により詳細かつ具体的に書かれていた。そもそも、こうした事象を注意書きなしでプロットツイストとして扱ってよいのかという点にも、他ゲームと比較した上で考察していてとても参考になった。

同じくラブムーさんが激推しされていた『すみれの空』もやったけど、児童文学と少女漫画の中間みたいな雰囲気があってよかった。でも実際、児童文学の延長で作られたようなゲームってわりとある気がするけどそういう作品をまともに(?)批評・評価できる人って珍しい気がする。そもそも児童文学自体を子供が読むことを念頭に置いて書かれているという前提の上で評価するのが難しいというのがあるけど。


  • 「現実を思い起こさせるような表現を含んでいる」って、字面だけ見たらすべてのフィクションで必要な注意書きじゃない?現実を思い起こさせるような表現が一切ないゲームやってみたい。
  • でも、『ダレカレ』をやって不安になったのは、その表現やゲームとしてのインタラクティブ性のためというより、「世の中にはこの問題(特に結婚に対して)にこんなにも怒ってる人間がいるんだ」みたいな、正直そういう過敏症的な性分のせいかもしれない。